Old Smith & Wesson Knives

当初はオールドS&Wナイフネタを書こうと思っていたのが、この頃は60~70年代アメリカン・ナイフ再発見の話です

S&Wナイフ・ヒストリー

 インターネット上にある、オールドS&Wナイフの解説を一部和訳してみた(直訳調なのはご愛嬌)。

 内容のほうは、Clarence E. Rinkeの『The Knives of Smith & Wesson』(限定出版)からの引用と、S&Wのパンフレットからの引用に近いものが見られる。パンフレットの内容は販促材としての役割を持っているため、幾分誇張されているのは割り引いて読んだほうがいいだろう。

 いずれにせよ、当時の社内状況を含めたこのような情報はなかなかないのでたいへん貴重な記事だと思う。

 
 誤訳があればご指摘いただきたい。

 製品の仕様製法についてはパンフレットに詳しく記述されているので、後日あらためてふれてみたい。

引用元
http://iknifecollector.com/group/odds-ends/page/the-knives-of-smith-wesson

『THE KNIVES OF SMITH AND WESSON』
iKnife Collector
 Hosted by Gus Marsh
 January 9, 2013

 Smith & Wesson社は、法執行機関とスポーツマン向け製品のフルライン化のために、1972年にナイフ市場の調査を開始した。社長のWilliam Gunnは、ナイフ作家であるBlackie Collinsと会い、(ナイフの)デザインについて話し合った。Blackieは、大衆のニーズに合致する、さまざまなスタイルのシースナイフのいくつかのサンプルと設計図を提示した。

 Blackie Collinsは、 assisted opening機構やさまざまな自動開刃のナイフをデザインし、人気を博したアメリカのナイフ作家だった。彼は、他のナイフ作家やコレクター達から、世界でもっとも革新的なナイフデザイナーの一人であるとして引き合いに出される人物であり、Blade Magazineの筆者であり創刊者でもあった。Collinsは、2011年7月20日にサウスキャロライナのNorth付近でモーターサイクルの事故のため死去した。

 1972年、 Smith & Wesson社は、Texas Ranger Commissionから、彼らの150周年記念の記念品としてリボルバーを制作してもらえないかとの接触を受けた。この会合を通して、Smith & Wesson Collectors Associationの会員であり、Smith & Wesson社の社史研究者でもあるRoy Jenksは、記念品の拳銃と併せて提供できるものが何かないだろうか?と持ちかけた。この時、Commissionもまた、記念品としてのナイフの購入を検討していたのである。

 Royと、Texas CommissionのメンバーであるJohn Wilsonは、古いテキサスナイフのスタイルに似たボウイナイフのデザインを描き上げた。このデザインパターンはSmith & Wesson社に提案され、Blackie Collinsによりデザインされたボウイナイフが、Wilsonの当初の意図に沿った形に改変された。

  Smith & Wesson社は、テキサスレンジャー記念ボウイナイフは、ナイフ市場への参入にあたり良い出だしであると感じていた。 Smith & Wesson Model 19リボルバーとボウイナイフの組み合わせ販売が提案された。提案は承認され、生産が始まった。そして1973年、Smith & Wesson社はテキサスレンジャー記念品を発表した。8,000セットのナイフとSmith & Wesson model 19の詰め合わせの生産計画が立てられ、追加として12,000丁のナイフ単体が贈答用箱装で提供された。

 テキサスレンジャーナイフは、すべての初期のSmith & Wessonナイフと同じく、鍛造された440系ステンレス鋼から、47の工程を経て手造りされた。それぞれのナイフはブレードの上部にTR1からTR20000までのシリアルナンバーが刻まれた。1973年にSmith & Wesson社から販売されたのはテキサスレンジャーボウイナイフのみであったが、しかしながら、Smith & Wesson社がナイフ事業に参入することを発表するための計画はすでに立案されていた。
 
 工場は、テキサスレンジャーに似た、スタンダード版のボウイナイフと、5インチのブレードと緊急時装備を収めることができるハンドルを備えた、汎用のハンティング/キャンピングナイフ(このナイフはアウトドアーズマンと呼ばれた)の生産を加速した。

 彼らの多用途なナイフのラインナップを拡大するために、Smith & Wesson社は、サバイバルナイフも製造した。これもまた、むくの真鍮製キャップで閉じられる中空ハンドルに収納部分を備えていた。ハンドルは円筒形で、最大限の作業性と生産性を発揮するべく二つのキリオンを有するクロスガードへとつながっていた。5インチのブレードは身幅の広い、平たい峰部と研がれたフェールスエッジをもつ。工場は、この10オンスのナイフがキャンパーとバックパッカーの人気を博することを期待した。

 3インチ、ドロップポイント・ブレードのナイフが、Blackie CollinsによりSmith & Wesson社のためにデザインされ、ハンターのために供された。そのハンドルはくびれ、大型あるいは小型の獣のスキニングを行う際に手になじむような外形とされていた。このナイフはスキナーと呼ばれた。
 
 シースナイフを好まない顧客のために、工場は、フォールディング・ハンターと呼ばれる3インチ刃のロック式折り畳みナイフを提供した。これはニッケルシルバーのボルスターをもつ、頑丈で贅沢な造りのナイフで、ベルトシースとセットで販売された。(Smith & Wesson社の)工場は、この製品を製造するキャパシティがなかったため、彼らはSmith & Wesson社の仕様に基づき、AlcasまたはBowen Knifeに製造を委託した。

 1972年にAlcas Cutlery CorporationはAlcoaにすべて買収された。その10年後、会社役員のグループがAlcas Cutlery CorporationをAlcoaから買い戻し、私企業とした。そして自社買収からまもなく、Alcas Cutlery Corporationは、北米でCUTCO製品を卸すことになったVector Marketing Corporationを買収した。1990年に、CUTCO Cutlery Corporationが製造の子会社としてVector Marketing Corporationに並び設立され、親会社はAlcas Cutlery CorporationからAlcas Corporationと改名された。

 Bowen Knifeは、WalterおよびMichael Collinsにより1973年に開業した。彼らは、初め、CamillusとAlcasと協働し多くの折り畳み式ナイフとシースナイフを製造した。今日この会社はもっと小規模になり、ベルト(バックル)ナイフの製造に特化している。さて、私がなぜセキュリティを通過する際にいつもベルトを外さなければならないのかわかったというわけだ。

 彼らのナイフのラインナップを完成させるため、工場はフィッシャーマンの2種類のシースナイフを提供した。これらはフィッシャーマンズ・フィレと呼ばれ、6インチのブレードとしてデザインされた。より撓らない5インチのブレードをもつ汎用ナイフは単にフィッシャーマンナイフと呼ばれた。

 これら7種類の型がSmith & Wesson社の完成したナイフラインナップを取り巻くことになった。Smith & Wesson社はこれらのナイフを、カスタムメイド製品でありながらリーズナブルな価格という強みを持って広く宣伝した。

 品質と対顧客アピールのためにすべてが行われた。ブレードは、120年以上の鋼鉄鍛造の経験を生かして鍛造された。ガードとポメルは、手作業で取り付けられ、ブレードに銀ろうづけされた。Wessonwoodと呼ばれる、自然木を圧力含浸した特殊材のハンドルはやはり手作業で取り付けられ、長期使用に耐える最大限の耐久性が与えられた。

 それぞれのナイフの切刃は、この作業のためにとくに訓練を受けた職人により研がれ、工場出荷時から鋭利な刃付けがなされた。

<中略>

製造数量は以下の通り。

 Texas Ranger Bowie – 20,000
 Bowie 6010 – 15,000
 Outdoorsman 6020 – 13,000
 Survival 6030 – 17,500
 Collector Series – 3,752 (うち800がコンプリートセット)
 Skinner 6070 – 15, 500
 Fisherman's Fillet 6040 – 4,500
 Fisherman 6050 – 4,500
 Folding Hunter 6060 – 35,000

<後略>