Old Smith & Wesson Knives

当初はオールドS&Wナイフネタを書こうと思っていたのが、この頃は60~70年代アメリカン・ナイフ再発見の話です

謎ナイフとカウリY

 もう15年くらい前の話だが*1、Gerberフォールディング・ハンターのレプリカを手に入れたことがあった。誰かにもらったのか、ネットオークションで買ったのか、そんなに昔のことではないはずなのに、どうして手元にあるのかはっきりした記憶がないのは困ったものである。最初からケースはなく単体で入手したように思う。裸で紙袋に入っていたような記憶がなんとなくある。

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 色の濃い唐木、おそらく紫檀のハンドルで、オリジナルのデザインは踏襲しているが、各所に製作者のアレンジが見られる*2。仕上げは、熟練したカスタムナイフ・メーカーによるものと見える。プロの仕事である。ブレードには一切、刻印・エッチングの類がなく、ネイル・マークもない(これはいささか不便)*3。ハンドル木部の工作は、このフォールディング・ハンターは込み入った造形なんだけど、それを再現するのに苦心した様子がうかがえる。ちょっとぎこちない感じだ。角もダレている。が、逆から言うと、安易な簡略化をしていない。ハンド・リューターのような工具でチマチマと削ったような造形である。

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 これを私に渡した人が誰だったかすら記憶にないのだが、「試作品」で刃は「カウリY*4」だと告げられたのは覚えている。粉末冶金鋼材がナイフに使われ始めた時代だった。オリジナルのGerberフォールディング・ハンターには当時興味がなかったのだが、このレプリカは何か面白そうだなという印象*5であった。

 使い勝手はGerberのそれと変わらない。要するに使いやすいが、サイズが中途半端に大きく、また、分厚く、ポケットに入れるとゴロゴロとしてもてあます。スキャバード(ベルト・ケース)に入れれば?といっても、私の場合は、それじゃあ固定刃のナイフでいいよねという話になる。独特のハンドル・デザイン*6は、長時間使っても手が疲れにくく、今なおファンがいる*7のは不思議なことではない。

 このレプリカは、ブレード・ラインのアレンジの仕方*8と研削の仕方から、作ったのは原幸治さんじゃないかと思う*9。確証もないし、ご本人に確認もしていないが。銘を入れていないところから察するに、販売品ではなく、やはり試作品だったんだろうと思う*10。手抜きしているわけではないが、かといって本当の本気を出しているようでもない。ロック・バーとタングの摺動部分の仕上げなどは、実用上なんらの問題もないが、少し粗い。

 このナイフは未使用の状態で刃付けも鈍角だったので、ダイヤモンド砥で刃をつけ直そうとしたのだが、電着ダイヤモンド砥に当てると、なんと刃先が細かくこぼれるんである*11。全体としてよくできているのにもったいないが、こりゃ使えんということで道具箱に放り込んで15年(あるいは20年?)である*12。その後海外に赴任するにあたり実家の倉庫に移動した。

 で、先日実家の倉庫を整理していてこのナイフを発見したのである。保管状況は季節により湿気(結露)もあり乾燥もあり、相当悪かったのだが、木部に異状*13もなければ刃に錆びもない。なお、刃の仕上げはほぼ完璧な鏡面仕上げである。この鏡面は通常の高合金鋼では無理で、やはり粉末鋼のカウリYなんだろう。

 そういえばこれは刃が欠けまくるんだったなと思いだし、ちょっと時間があったので、丸洗いしてきれいにした後で研いでみた。やはり番手の低いダイヤモンド砥では細かい刃欠けが出る。が、昔の記憶ほどひどくはない。15年~20年間の時効効果で残留オーステナイト→焼入れ(高炭素)マルテンサイト(入手時はこの状態で脆いと想像)→焼戻し(低炭素)マルテンサイト(ここで靭性獲得)と安定に向かったのか*14、当時の私の研ぎ方が悪かったのか、あるいは加工の熱で劣化した金属組織がなくなったのか*15、理由はわからない。いずれにしても、少なくとも焼入れから15年経てば鋼材もそれなりに枯れて、入手時よりは安定した状態にはなっているとは思うが*16。で、刃角は20度(合計40度)くらいでダイヤモンド砥で整形してからファイン・インディアで刃欠けを取り、ソフト・アーカンサスで仕上げてみたところ、きめの細かい、鋭い刃となった*17

 カウリYの実用硬度はロックウェル硬度(C)で62-64度くらいのようだが、確かに62度くらいはありそうな研ぎ感覚で、とは言っても、Gerberの高速度鋼の研ぎ感覚とも異なる。炭化物が小さいのが効いているのか、案外研ぎやすい。Gerber M2のような研磨時の耐摩耗性の高さを感じないのである。カエリは出にくく、出ても落としやすい。要するに和包丁の刃のような感じで、すっきり切れるが粘りは少ない。荒く使うと刃先が曲がるというよりは欠ける感じである。

 欠けるといっても、例えば、割り箸のような軟質の木材を削るくらいではルーペで確認できるような刃欠けは起きない。割り箸を削っていって、それがなくなって、2本目を削ってそれもなくなる、くらいでは切れ味もほとんど落ちない。

 こういう刃は包丁とかカミソリにはいいのかもしれない。が、やはりアウトドア・ナイフに向いているとも思えない。野外で使う汎用ナイフの刃は、もう少し粘ってほしい気がする。あるいは、骨に強く当てたりこじるような使い方をしないベテラン・ハンターが、大物の解体を数多くこなすというような場合にはいいのかもしれない。そういった条件での刃持ちは相当優れている。

 粉末鋼が欠ける、折れるという話はずっとあって、S30Vなんかもそういう例をよく目にした*18。最近は改善されているのかもしれないが、原因はどこにあるのだろうか?鍛造率の問題なのか、熱処理の問題か、外形をレーザーカットすることでの熱による組織の粗大化によるものか、あるいは熱処理後の加工に伴う熱が原因なのか?その辺は私にとっては明確ではない*19。ただ、間違いなく、アウトドア・ナイフならGerberのM2や440A/B/Cのほうが私にとっては使いやすい。

 いずれにせよ、特徴のある物品というのはそれなりに面白いので、しばらく手元に置いていろいろに使ってみようと思う。

 

追記1.

 1か月ほど、いろいろに使ってみた。刃付けは20度弱(合計40度弱)、ジグを使わない手研ぎなので切刃はややコンベックス状になっている。ダイヤ砥や番手の低い砥石は当てておらず、細目のオイル・ストーンで研いでは使い、研いでは使いで、4回ほど研いだ。用途はデスク・ナイフと山遊びでの木工、竹工だが、チップの問題は出ていない。欠けると修正研ぎが面倒なので、幾分気を使っているせいもあるかもしれない。

 研いだ際のカエリは、研ぎを重ねる毎に粘りが出てきているような感じ*20だが、これも気のせいかもしれない。研ぎについては、問題を感じないが、私の場合は研ぎにくい鋼材(高合金ステンレス鋼、高速度鋼)に慣れてしまっているので、この感想は参考にはならないかもしれない。アルミナ砥石を使う限りでは、感覚的には440Cと同等かな。初期の切れ味と、その刃持ちは素晴らしい。

 「フォールディング・ハンター」ではあるんだけど、私はハンターではないので、獲物の解体には使っていない。やはり参考にはならないか。総体的には、ステンレス鋼でも炭素鋼でもない、独特の研ぎ味・切れ味・刃持ち性能が出ているような気がする。BG42と比較できれば面白いのだが、残念ながらBG42のサンプルはない。

*1:ナイフマガジンのバックナンバー

712shop.com

を調べると、41号(1993年8月号)に「新粉末合金カウリX、カウリY」(カウリXに至っては、その組成は「粉末鋼」というより「粉末合金」なんだよな。炭素量3%というのは鋼鉄ではなくもはや鋳鉄である)という表題があるので、これらの粉末鋼が製品化されたのは1993年頃なのだと推測する。思ったより以前の話なんだな。この頃はナイフマガジンを時々読んでいて、たぶんこの号も目を通したとは思うのだが、この記事のことは覚えていない(前後の号の記事は部分的に覚えているものもあった)。もしかしたらこのナイフを手に入れたのも20年前くらいなのかもしれない。

*2:機構的には、刃が研ぎ減りしても、折り畳んだ際に切っ先が柄からとび出さないように簡単に調整できる設計になっている(「機構」などと大仰な表現になっているが、これは要するにタングの、刃を倒し切ったときにロック・バーと接触する部分を削り取ることで調整するだけの話である)。たいていのロック・バック式/スリップ・ジョイント式のフォールディング・ナイフはそのような設計になっているが、この調整が効かない(あるいは調整加工が困難と言うべきか?)のがオリジナルの問題点(これは後に記述する安全機構の副作用というか、検討不足によるものとも言える。後にGerberはFolding Sportsmanシリーズ等の、もっと単純な仕掛けでこれを解決している)だった。

 また、オリジナルとは異なる仕掛け(タング摺動カム部の曲率を工夫)を使って、オリジナル同様に安全のために段階を踏んで刃が閉じるようにしながら(Gerberによる、閉じる際に刃が勢いよく倒れるのを防ぐ安全機構の特許を参照:Patent US3568315 - Folding knife having closure arresting means - Google Patents)も、最後までフリクションを効かせるのではなく、最後の最後はスプリングのテンションで刃が倒れるようになっている(要するに、中途半端に刃先が出た状態にはならないよう配慮されているとも言えるし、普通のフォールディング・ナイフの設計に戻しているとも言える)。刃は、外形はアレンジしてあるが、オリジナル同様のフラット研削で肉も適宜抜いてあり、いい塩梅の刃である。

*3:この辺りも試作品説を裏付ける。刃は鏡面仕上げなので脂手では引き起こすのに苦労する。

*4:Daido Cowry-Y Knife Steel Composition Analysis Graph, Equivalents And Overview Version 4.2 組成を見ると、“Lescalloy/Lesco” BG42(溶製鋼)に近い。BG42の粉末冶金版という感じか。

 BG42は、航空宇宙分野のベアリング用途に開発された鋼材で(高級アウトドア・ナイフ用鋼材によくある他用途からの転用、そういう意味では、やはり本来ベアリング用途だった440Cの進化形と言えなくもない。様々な用途に開発された鋼材は多く存在しているが、ベアリング鋼材に求められる性能というのはアウトドア・ナイフのそれと共通部分が多いんだろうか?刃物用途で開発された鋼材ももちろんあるが、その消費量は全体の鋼材市場から見れば微々たるもので、専用に開発してくれるメーカーは多くはない。そこは刃物製造業の悲しさではあるのだが、一方で刃物に特化して開発されたという触れ込みの鋼材の性能が、必ず理想的であるという保証もない。要するに開発者は合金開発のスキルのほかに刃物に対する深い理解と経験が求められるが、その両方を備えた人材というのは多くはないはずである)、元々Latrobe Steel Companyが開発し、その後Latrobeを買収した(?)ベアリング業界の老舗Timkenが製造していたが、2006年にTimkenが、傘下にあったTimken Latrobe Steel(おそらくBG42の製造を担当)をファンドに売却、Latrobe Specialty Steels Companyとなったらしい(米鉄鋼業界の統合/再編は複雑で私にはよくわからない。この会社も現存しているのか不明で、さらにその後、Carpenterに買収されたような情報もある)。

 そのCarpenterが製造しているBG42の粉末冶金バージョンがCTS-B75Pらしい。この鋼材の組成はBG42と少々異なるが、「カウリYのほぼ同等鋼種はCTS-B75Pである」と、大雑把には言えそうだ。

 BG42に話を戻すと、Latrobeは、ナイフ製造用途のような小ロットの取引をあまり好まなかったようで、あるいは、本来の航空宇宙・軍需用途への供給が優先されるような事情もあったらしく、昔も今もBG42は手に入りにくい鋼材であるようだ。ベアリング用途のため、ナイフ製造に適した形状での供給も少なく、コストも嵩み、リードタイムも長かったらしい。2007年、SpydercoのSal Glesserさんによるコメントによれば、前回発注を検討した時のBG42の価格はS30Vの1.5倍、納期は14か月間であったという。『BG-42 is a stainless steel ball bearing steel.  It makes a very nice knife blade.The last time we tried to order, the price was way up (1-1/2 times S30V) and the lead time was 14 months. Hard to plan production with those kinds of steel lead times.  ZDP-189 from Hitachi also has similar lead times.』

 ゆえに、BG42に関する個人的記憶では、ATS-34の後釜にすわるかと思われた時期もあったが、このような供給とコストの問題があり、また、他の鋼材(殊に新登場の粉末鋼)の台頭もあって、大勢を占めるには至らなかった感じである。この鋼材の使用経験は私にはないが、それなりにポテンシャルを秘めていながらもナイフ用鋼材のメイン・ストリームに乗れなかった悲運の存在と見ることもできる。そしてそれはカウリYも同様だろう。

 BG42(「BG」はBearing-Gradeの略だろう)の開発はいつ頃だったのか、正確には知らなかった。割と最近開発されたのかと思っていた。ところが、調べてみて驚いたのだが、これは思った以上に古くからある鋼種で、1962年のDTICのレポート、1970年のNASAのレポートに「Lesco BG42, manufactured by Latrobe Steel Company」として登場している。ただし、当初はベアリング用途の特殊材料であり、刃物用途としては認知されていなかったものと思う。

 大御所R.W. Lovelessが、1990年頃にBG42をカスタム・ナイフ用鋼材として採用し始めており、また、その時々の「新」鋼材を積極的に採用しているChris Reeve KnivesがBG42を使用し始めたのは1996年のことで(それ以前はATS34であった)、この頃に刃物用途としてのBG42が「再発見」されたと思われる。カウリYの開発完了は1993年で、もし既存のベアリング特殊鋼の中から刃物用途向けとしてBG42の組成を選択したとすれば、大同特殊鋼の技術者は比較的早い時期に、良いポイントに着目していたと言えるのかもしれない。あるいは、異なるアプローチで、偶然、BG42と同じ成分組成に辿り着いたとしたら、それはそれで面白い。

 データ・シートを見ると面白いのは、ナイフ用途での焼戻し推奨温度が「510-566℃」になっている。カウリYの熱処理の推奨値がどうなっているのか知らないが、耐熱性は高そうである。M50ハイスの性能/特性で440C並みの耐食性というのが、BG42の簡単な説明だが、刃物用途として性能にはそれなりに定評があったと思われ、その組成を引き継いで粉末冶金法で仕上げるというのは、Lescalloy BG42のパテントがどうなっていたのか知らないが(おそらく切れている)、手堅い手法ではあったんだろう。

 これに比べると、カウリX(後の日立ZDP189も似たような鋼材だ)はエキセントリックな組成で、どこまで粉末冶金で行けるか、限界を試してみるような位置付けだったのだろうか?とにかく高硬度が出せる鋼で、当時は一番人気であった。実際にはよりバランスが取れていたと思われるカウリYは、カウリXのステンレス版とか廉価版と見られていたようで、これはプロモーションの問題もあったんじゃないかな。

*5:例えば、Cowry-Xという鋼材名は非常にミステリアスな感じがあるわけだが、それがYということになれば神秘性も2倍増しである。もっとも、今となってはXもYも製造されていないようだ。インターネット上の情報もあまり残っていないのは残念。

 ナイフ・メーカーのKen Onionさんの2009年1月の投稿で、すでに製造中止でほとんど入手不可能、最後の150ポンドを大枚はたいて購入した旨の記述がある。『Great stuff!!  I love it !! It is clean, polishes beautifully takes a wicked edge and holds it nicely.  I bought the last 150 lbs of it because It was discontinued and almost impossible to get.  I paid alot for it and am glad I got it while I could.  It is a pleasure to work with and hold a super keen edge very well.』

www.bladeforums.com

*6:このハンドルは、Gerber Magnum Hunterのハンドルデザイン(Thomas Lambによる)を踏襲しているが、 GerberはThomas Lambにライセンス料を払わずに済むよう多少手直しをしたらしい。セコい話である。

*7:ただし、ほとんどコレクション的価値により売買されているもので、実用的価値を見出している人は少ないようだ(日本の場合、ハンターも少ないしね)。もう古い製品なので仕方がないともいえるし、それゆえに各種レプリカの存在意義があるとも言える。

*8:元々のオリジナルのブレード・ラインというか切刃の線は、良い悪いは別として、特異なものだった。

*9:元を辿れば「御徒町」だったんだろうと思う。

*10:したがって、この記事は彼のナイフに対するクレームでもなければ、評判を落とす意図もまったくないのである。折り畳んだ際の刃打ちを防ぐデザインのアレンジから工作まで、やはりレベルが高い。ただし、粉末冶金鋼に対する不信感というのは私の中には未だに残っている。

*11:高硬度の粉末鋼に関しては、カウリYとは組成が大きく異なるが、カウリXと同等鋼種と思われるZDP189についてこのような記述もある。曰く、『本材は粉末冶金法による3C-20Cr系刃物鋼・冷間工具鋼として、特に『硬さ』を追究した鋼種です。鋼の基本的な特性である『硬さ』と『靭性』は相反する性質があることから、本材については適正に熱処理された場合でも、お取扱いによっては刃欠けや刃折れを生じる事例が報告されています。【ご注意事項】本鋼種は当社推奨の条件に従い適正に熱処理を行なってください。しかし、適正に熱処理(焼入れ・焼戻し状態及び焼なまし状態)された状態でも、用途や取り扱い方法によっては刃欠けや刃折れを起こす場合がありますのでご注意ください。』

*12:ポイッと放棄したということは、やはりタダでもらったか、相当安く買ったということなんだろうな。

*13:反りも、真鍮ライナーからの剥離も、ひび割れも一切ない。亜麻仁油か桐油のようなオイル仕上げで、導管が埋まっている。素材の良さもさることながら、やはりプロの仕事である。ただし、ハンドル木部の整形はほどほどで切り上げてバフ&オイル仕上げ工程に向かった感じだ。

 木部の素材じたいは非常に良質なもので、試作品にはもったいないくらいだ。私はハンドルには人工素材を好んでおり、実際所有しているのもほとんど人工か半人工素材(ダイモンドウッドのような)のハンドルだが、紫檀等の唐木の良さを再認識した感じである。長いエージングというかシーズニングを経て、オイル処理をきちんと施した唐木の安定性と使い心地はなかなかのものだ。

*14:高合金鋼のカスタム・ナイフでサブゼロ/クライオ処理しないというのはちょっと考えにくいが、試作品で低温処理を施していない可能性はある。以前、カウリXの熱処理の話でサブゼロ処理はするなというのがあったような気がする(するなという理由はわからずじまいである)。

 カウリXの熱処理は、

www.britishblades.com

によれば『For the heat treatment, Mr. Hattori recommends 1020 to 1025C temperature for 5 to 10 minutes, then cool then temper at 240C for 90 minutes (Don't do a sub-zero quench).』(Mr. Hattoriというのは服部刃物の服部唯知郎さんのことだろうか?)ということなんだが、残留オーステナイトの存在を考えると、この処理手順は疑問が残る。上記説明では焼戻し回数については触れていないが、もし1回のみの処理であれば、焼戻して冷却される際に残留オーステナイトが焼入れマルテンサイトになってしまう。

 もっとも、経験豊富なプロがそう言うからには、私の素人考えではちょっと思いつかないような理由があるのかもしれない。一つの可能性としては、カウリXの焼入れ後残留オーステナイトが非常に少ないということが推測されるが、であれば、「サブゼロ処理はするな」ではなく、「する必要性が低い」ということになる。あるいは、説明では省かれているが、実際には焼戻しを複数回繰り返すのかもしれない。

 カウリXとおそらく同等鋼種であると思われるZDP189の焼戻し推奨値は、サブゼロ処理後100-150℃、空冷、時間と回数の指定なしで最終的には65HRC以上とのことである(カウリX、ZDP189いずれも粉末鋼だが、カウリYとは製法は同じであっても組成が全く異なるため、もちろんこれらの値はカウリYの熱処理の参考にはならないが、いずれもダブル・テンパーの必要性については言及していない)。

 粉末鋼の熱処理については、このような情報(木屋のコスミックスチール)もあった。

www.kiya-hamono.co.jp

『焼き入れ後サブゼロ処理(-75℃の深冷処理)と焼き戻しを繰り返すという 難しい熱処理工程や何種類もの研磨工程を経てようやく庖丁の完成に至ります。』

 サブゼロ処理と焼戻しを繰り返すのは、手間と時間はかかるにせよ「難しい処理」とまでは言えないような気がするが、意図するところは、残留オーステナイトと焼入れマルテンサイトの徹底的な除去だろうか?

*15:グラインダー等を使った初期刃付けの際の熱で、焼戻し脆化が刃先に起こる可能性があるのかどうかは私にはわからない。冷却なしのグラインダーで付けた切刃が青くなっているのを見たことはあり、確かに刃先が300度に達することはあると思うが、ごく短時間でも影響はあるのだろうか?ましてや、BG42とほぼ同じ組成から判断すると、このカウリYの耐熱性能はかなり高いものと思われる。

 別のシナリオとしては、残留オーステナイトが刃付けの際にマルテンサイト変態して研磨割れを起こした等だろうか?

*16:そういう意味では、昔欠けてどうしようもなかった刃物も、10年くらい枯らせばそこそこ使えるようになっていたりするのかな?精密機械に使う鋳物などではシーズニングは有効のようだが、刃物鋼でも枯らしの効果はあるんだろうか?

*17:私の場合、ファイン・インディアまでで実用上は十分である。ファイン・インディアというのは要するに細目のオイルストーンなのだが、比較的相性が良いようだ。私の場合は水もしくはドライで使っている。あるいは和包丁を研ぐ時のように、砥粒が容易に破砕/脱落するような水砥石のほうがカウリYには良いのかもしれない。

*18:面白いことに、当初から「問題がない(チップしない)」というレポートも混在していて、全部が全部ダメというふうでもなかった。何らかの要因により当たりとハズレが分かれるように見えた。何回か研いでいるうちにチップしなくなるという説もあった。鋼材そのもののロット毎の個体差、外形カットやブレード研削時の熱の影響、熱処理方法の適不適、刃角の設定等、要因は様々に考えられたわけだが、結局、何が原因でハズレになるのか、今も私はわからずじまいである。メーカーや熱処理屋はもしかしたらその答えを持っているのかもしれないが、明らかにしていないように思える。

 刃物用途で熱処理されたものにそのまま当てはまるかどうかはわからないが、粉末鋼と高張力鋼(溶製)の疲労試験をすると、溶製鋼に生じた亀裂は炭化物の結晶粒の中を通っており、粉末鋼の亀裂は結晶の粒界を通っているというレポートを見たことがある。チップに至る過程も粉末鋼は溶製鋼と異なるようだが、そのあたりも関係しているのかもしれない。粉末鋼の疲労強度は高いとされているが、それがそのまま刃物の刃先でも同じことが言えるかどうかは不明である。

 粉末冶金法も2世代3世代と改良されているようで(私の理解では、より細かい組織になっている)、今製造されている鋼材はまた異なる特性を備えているのかもしれない。私は技術の進歩にまだついていけていないので、実際のところはわからないが。

*19:Profile|Koji HARAにも、「Powdered steel」の欠点の一つが横方向からのインパクトに弱い点であり、これは適正な熱処理によって是正できる旨の記述があるところを見ると、あるいは粉末冶金鋼全般に共通の問題なのかもしれない。靭性不足を補う熱処理というのは、要するに硬度を低めに焼き戻すということだと思われるが、比較的低硬度で焼き戻した粉末鋼であっても問題を抱えているものがある例を見てしまうと、やはり不安は払拭しがたい。あるいは、例えば粉末化した際のそれぞれの微粒子表面の酸化被膜なりが結合に悪さをしているとして、それを解消するような高温処理をしている等、溶製鋼の常識では思いつかないような手当てが必要ということだろうか?

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 その他の噂では、米国の某鋼材メーカーがチップ多発で戻ってきた粉末鋼製のナイフ・ブレードを検査したところ、「焼戻しされていないマルテンサイト組織(硬いが脆い)が存在・混在していた」という話も聞いたことがある。故にマルチ・テンパーが必須というか、サブゼロ処理&十分な焼戻しをしてくださいということだった。溶製鋼とは異なる焼戻し手順が必要なのだろうか?

 ダブル・テンパーは、別段、粉末鋼だから必要というものでもなく、溶製鋼BG42の(ナイフ用途での)焼戻し処理についてLatrobeは下記のように指定している。

・焼戻しは、焼き入れ後あるいはクライオ処理後すぐに行うこと。
・焼戻し温度は510-566℃。510℃以下の焼戻しは推奨しない。
・焼戻しは指定温度を2時間保ち、その後空冷する。
・2回焼戻しが必要(Double tempering is required.)。

 これは、クライオ処理でも残留オーステナイトはゼロにはできず、また、焼戻し温度が500℃以上なので、1回目の焼戻しで残留オーステナイトが焼入れマルテンサイトに変わり、当然ダブル・テンパーしないと問題が出る。刃物の熱処理として2回焼戻しは特別なことではない。440CでもATS34でも(高温焼戻し処理を採用する場合は)、少なくとも米国ではダブル・テンパーが推奨されていたと思う。Paul Bosは、例えばS30Vの焼戻しは通常2回、高い靭性が求められる場合は3回と述べていた(3回目の焼戻しは硬度を低めるためだろうか?)。カウリYの熱処理条件の推奨値はちょっと見つからなかったが、同組成のBG42の条件を見る限りでは、おそらく2回焼き戻しが指定されていたものと推測する。

 一方、(カウリYと組成がほぼ同じであるところの)BG42の粉末冶金版であるとされているCTS-B75P(したがって、現行の鋼材ではもっともカウリYに近いと思われる)の焼戻しは、データ・シートによると、焼入れ後2時間以内のサブゼロ処理推奨、その後用途に応じて260℃~552℃、最低でも2時間保持、その後空冷、482℃以上の焼戻しを行う場合はダブル・テンパーが必要。427℃~593℃の温度域での焼戻しは靭性と耐蝕性を減じる、とある。

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 いずれにしてもプロフィール欄にこのようなことを書いてしまうあたり、少なくとも初期の粉末鋼にはクセがあり問題も出たものと思う。ユーザの不安を解消するには、もっと詳細な情報が必要になってくるのではないだろうか?そもそも、粉末鋼の触れこみに、金属組織が細かく均一で靭性に優れるというものがあったはずだが、一体どうなっているのか?どうもその辺りの事情に関して納得のいく説明を見た記憶がない。

*20:以前の記憶が確かならば、鈍角な初期刃付けの状態から研ぐと、カエリが出ずに刃先が細かくこぼれ、切れる刃がつかない(刃先が形成できない)感じだった。そこから少しは研ぎ進めたのだが、美味しい部分が出る前に放棄したかっこうで、「発掘」後にさらに研ぎ進めた結果、チップしやすい組織がなくなり、カエリが出るようになった、とそういう理解ができるが、それでは初期の欠けやすい刃先というのは何が原因だったのか?

 熱処理の問題ではなく、刃の外形カットか初期刃付けの際の熱が原因として推測できるが、確信はない。経験を積んだプロのメーカーが、刃先をダメにするような刃付けを施すとも思えないし、カウリYの耐熱性はかなり高いはずである。??というわけなんだが、この試作品はメーカーから直接受け取ったのではなく、間に別の人間を介している。もしかしたらメーカーは初期の刃先が欠けやすいことを了解していて、「最初は欠けやすいですが、しばらく研いでいるとチップしなくなりますよ」というようなアナウンスをしていた可能性もある。