Old Smith & Wesson Knives

当初はオールドS&Wナイフネタを書こうと思っていたのが、この頃は60~70年代アメリカン・ナイフ再発見の話です

Gill Hibbenさんと440Cステンレス鋼

 ステンレス鋼の「発見」は1900~1915年の間とのことで、鋼を錆びにくくするためには少なくとも10.5%以上のクロムを添加する必要があった。クロム合金鋼の研究はもっと早く、1800年代前半からされており、耐食性や強靭性が向上することも知られていたが、ここまで多量にクロムを加えるような試みはそれまでされていなかったようである。

 今日の440系ステンレス鋼の原型は1904年頃から知られていたようだ。ただ、工業的に見ると、殊に刃物鋼として使う場合には残留オーステナイトの問題があり、これを解決するには1950年代まで待たなければならなかった(サブゼロ処理など)。

 最初にGil Hibbenさんが440Cステンレス鋼をナイフ製作に用いたのが1963年前後、440Cを最初に使ったカスタムナイフメーカーということになっている。1970年頃の彼のナイフカタログでは、「今やカスタムナイフメーカーの間で広く使われている440Cのパイオニアである」旨の記述がある。

 440Cステンレス鋼(もともとはベアリング部材用途だったようだ)のナイフ鋼材としての採用については、海軍を除隊後、ボーイングの技師として勤務した経験が生かされているということなんだろうか。航空宇宙産業というのは新素材の最前線でもあった。彼は現在に至るまで一貫して440Cステンレスを使い続けているが、これは当時、様々な実験と検証を経て「適切に処理されれば最高のナイフ用鋼材である」とした確信に基づくものである。

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 アウトドアナイフ鋼材にどのような性能を求めるかということに関して、人によりいろいろな見解があり、究極的には、ベストの鋼材が何かというのは個々が決めることである。性能といっても、様々なファクターが存在する。靭性、硬度、耐摩耗性、耐食性、加工性、等々。とはいうものの、彼が440Cを採用してから50年を経て、今なおバランスの取れた素材であることを否定する者はいないだろう。

 より高い強靭性を求めたRandallは炭素量の少ない鍛造440Bを採用し、S&Wはより低炭素の鍛造440Aとした。440A/B/Cは基本的には同じ合金だが、炭素量が右に行くほど高い。使い分けは炭素鋼と同様、強靭性を優先する場合は低炭素のものを、刃持ち(おおまかには硬度)を優先するなら高炭素のものが選択される。

 実際に、適切な熱処理が施されていると思われる、1970年のHibbenナイフ(440C)、1973年のS&W 6010(440A)、1970年代のBuckナイフ(440C)、1980年代のGerberナイフ(440C)、1990年代のRandallナイフ(440B?)、1990年代のSchradeナイフ(”SCHRADE+” 440A)を野外で実用して、何か鋼材に問題を感じるか、何かトラブルがあったかと言えば特にないんである。むしろ、これらはどれも使い勝手の良い刃である。

 硬度、靭性、耐摩耗性、耐食性、研ぎやすさ等の個別の要素を見れば、各要素で440系ステンレス鋼を、スペックシート上で上回る鋼材は当然あり、また、例えばカミソリの刃には、その組織内の巨大炭化物ゆえに440系ステンレスは向いていない。

 しかし、ことアウトドアナイフに関しては440系ステンレス鋼はまだまだ現役、ベスト・バランス素材の一つだろう。あるいは、1970年代に問題になった、ステンレス鋼の研ぎにくさの欠点(主に硬いクロム炭化物による)については、ダイヤモンド砥等の普及により軽減されている。

 なお、440Cステンレスが、まだ刃物鋼として一般的ではなかった時代には、適当なサイズのストックが供給されておらず(供給されていた素材の姿は、例えば"twelve foot lengths of three-quarter inch round stock"というものだ)、この、システム化された工場設備でもなければ鍛造時の温度管理が難しい素材を手鍛造して所要のサイズのストックを製作する苦労もあったようである。

 ところで、Gill Hibbenさんはそのナイフがどうこうというよりは、その功績が素晴らしい人で、440C鋼材の採用に始まり、数多くのナイフ・メーカーを育て、アート・ナイフ、ファンタジー・ナイフ、ムービー・ナイフといった新分野を開拓した人でもある。

 日本では(あるいは日本以外でも)、主に映画分野でのナイフが知られているメーカーなのだけど、そのデザインセンスとかあるいは製作技術が特段に優れているわけではない、というのが、僭越ながら私の率直な感想ではあって、デザインや技術が成熟していない、ごく初期の作品、そして最近のファンタジー・ナイフには私は興味がない*1

 ただし、彼の1970年前後(ユタ州マンティ後期からアーカンソー州スプリングデールの数か月間、そしてアラスカ州アンカレッジ時代)の、人気アウトドアライター/ハンターとタイアップした実用ナイフには魅力的なものがいくつかある。アウトドアライフやガンスミス分野でのDIYや、ハンターとして有名だったTommy L. Bishとのコラボレーションモデル(であるところのハンティング/キャンピング・ナイフ)『Bish』を私は所有しているが、なかなかの出来栄えである*2

 短いアーカンソー時代(1970年)の製作で、この頃(マンティ後期以降)にはすでにナイフ製造に便利なフラット・バーが供給されていたようで、丸棒から鍛造する必要はなくなった*3と同時に、幅広のフラット・バーによってデザインの自由度も上がった(鍛造時代は割と細身のブレードのモデルが多かった)。

 深いホロー・セイバー・グラウンドのクリップ・ポイント刃で、刃先に絶妙な厚さを残しているので、切れと強度のバランスが良い。ダイヤモンド砥石で容易に研げ、カエリが妙に粘るようなこともない。使った感じでは非常に硬い印象だが、刃先が細かくチップするような問題は経験していない。手元にある440Cのナイフの中ではベストの使い勝手と刃持ちである*4

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 Blackie Collinsが関わっていたオールドS&Wナイフも、個人的には初期Gil Hibbenナイフの影響を各所に感じるが*5、あるいは、この時代のカスタムナイフメーカー業界に共通する雰囲気のようなものがあったのかもしれない。

(S&WとG/Hのボウイを並べてみると下のような感じだ。興味のない人にはどっちも同じでしょと言われそうだが、寸法上の共通点や、あるいは逆にフィッティングや細かい造作の違いなど、よく見るとなかなか面白い。どちらか好きな方を選べと言われてもどちらも捨てがたい70年代ナイフである。画像ではわからない点を補足すると、S&Wのほうは相対的に柔らかいブレードで、エッジの厚さも斧のような『Edged Weapon』的な感じで、G/Hは硬いブレードの薄いエッジのスライス刃である)

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 1950年代から70年代にかけての、アメリカのアウトドアライフに関するメディアというのは、当時はインターネットなどないから紙媒体が主流であり権威だった。スポーツ・アフィールド、ガンズ・アンド・アンモ、ガン・ワールド等々、人気雑誌が目白押しで、そこから様々なアウトドアライターや用品が名を成していった。

 アウトドアライフ、銃器全般、万事に見識とこだわりのあるライターが、その道具、ナイフであればナイフを仔細に検討し、最高の実用アウトドアナイフを追求しようという態度で、熱心な読者はそれらの記事で情報を得た。誌面、とりわけカバーストーリーで採り上げられることは、したがってナイフメーカーにとって出世の一大チャンスであり、そのような時代の空気が、マスプロ、カスタムを問わずアメリカのナイフメーカーを育てたようなところがある。

*1:そもそも現代におけるすべてのカスタム・ナイフは本質的に『ファンタジー・ナイフ』だと思うんだよね。そこに変な要素を加えると、逆に本来の『ファンタジー』がスポイルされるんじゃないか。ナイフに求められるファンタジーはそこじゃないという感じになっちゃうんだよな。ともあれ個人的な価値観の問題ではある。

*2:このボウイというかハンティング・ナイフは、全長10インチ、5.1/2インチのブレード、1/4のストックで、ハンドルはブラウン・リネン・マイカルタ、フィッティングはステンレスである。ちなみに、このナイフの1970年のカタログ価格は75ドルだが、加工性の悪いステンレス鋼フィットは15ドル増しと、割高なエクストラだった。ステンレス・フィットとマイカルタの組み合わせということで、当時のオーナーは実用派だったんだろうと思うが、製作されてから40年を経て私が入手した時点では未使用であった。シースは厚手で堅い、質の良い革で造られている。

*3:当時はGill Hibbenさんは440C鋼材をFRY STEELから調達していたと思われる。

*4:Gill Hibbenさんは熱処理も自前である。この性能は、彼がいろいろと研究した成果が現れているというところだろうか?もちろん当時からサブゼロ処理も施している。

*5:440系鍛造ステンレス鋼、磨き仕上げなど。